« 2008年12月 | トップページ | 2009年3月 »
2009.01.20
伊東義賢の和歌
「ともなひしその面影もまぼろしも
問えど答えぬ浅茅生のもと」
●伊東義賢
【生没】永禄11(1568)~文禄3年(1594)
日向飫肥城主義益の子。父の死後は祖父の義祐に育てられ
ましたが、伊東家の没落で、大友義鎮に養われました。
文禄元年には朝鮮派兵に出動、帰国途中に病死しました。
(伊東義益へ)
日向記巻十一「高麗御渡海並働事」。
この歌は「病中いとと悪筆にて」とあるそうで痛々しく
悲しくなります。釜山を出港したのち対馬から壱岐に
渡る船中で亡くなったそうです。
「浅茅生(あさぢふ)」は茅(ちがや)がまばらに生えた所。
転じて、荒れ果てた野原。
「茅(ちがや)」・・・イネ科の多年草。高さ約60センチ程度で
地下茎は横走して群落をつくり、春、葉より先に柔らかい
銀毛のある花穂をつける。
投稿:by いろは 2009 01 20 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
2009.01.07
伊東義益の和歌
「閑(しづか)なる時世に花もおくれじと
先づ咲きそむる山櫻かな」
日向記巻八の「田原山陣 並 義益早世時」のところに
でてくるそうなので、辞世かもしれません。
「辞世」と「時世」をかけたような気もしますが、
島津氏との対陣中に亡くなっているので「閑なる」には
違和感を感じます。
「閑」には暇という意味もありますので、病床で
動けないもどかしさも含んでいるのかな・・・?
●伊東義益
【生没】天文15(1546)~永禄12年(1569)
日向飫肥城主。義祐の子。永禄3年には家督を継ぎ、
伊東氏の全盛期をつくりましたが、島津氏との
対陣中に24歳で病死しました。


