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2005.03.31
北条氏政・氏照の辞世
「雨雲のおほへる月も胸の霧も
拂ひにけりな秋の夕風」 :氏政
「天地の清きなかより生れ来て
もとのすみかに帰るべらなり」:氏照
天正18年、豊臣秀吉の小田原攻めにより敗れた
北条氏政(4代目)、氏照兄弟は切腹となりました。
この時の辞世と伝わっています。
"いろは"には、氏政の辞世には未練があり、納得の
いかない気持ちが、氏照の辞世には、すでに死を
受け入れ澄んだ心境を感じます。
小田原城は籠城戦体制でしたので氏政には
戦っていたら・・・という気持ちもあった
かもしれないですね。
53歳と51歳の兄弟でした。
5代目の北条氏直は高野山へ流されました。
(関八州古戦録
「清」「帰」は旧漢字でしたが変換できなかった
ため当用漢字に直して掲載しました。)
投稿:by いろは 2005 03 31 | 固定リンク
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コメント
北条氏政の事
どなたの本か忘れましたが、こんなエピソードが。
一家で食事をしていた時、氏政はみそ汁をご飯にかけるのを追加しました。そこで父親の氏康が「ああ、これで北条も終わりか!」
とつぶやきました。氏政は色を成して、父にそのわけを尋ねました。父は「食事は何千回となくしている。それなのに、味噌汁の量がまだ分からぬ様では、滅びるのは目に見えいる、と答えたとか。
因みに北条5代
北条早雲ー氏綱ー氏康ー氏政ー氏直
北条氏直夫人の事
徳川家康の娘富子、督姫そして良正院。
北条家滅亡の時、切腹すべき氏直は家康の女婿と云う事で、切腹はまぬがれました。ところが、1年前後で病没しました。
その後、池田輝政に再婚(秀吉が媒したとも)しました。輝政の子は、岡山池田家31万5千石と鳥取池田家32万石に別れますが、鳥取の方が、家康の外孫良正院の血を引いて格式は上とか。岡山は
中川瀬兵衛娘の系統です。その後千姫の血が入りますが。
ながながと。
投稿者: 楽遼 (2006/01/28 11:39:39)
楽遼様。こんにちは"いろは"です。
いつも貴重なコメントをどうもありがとうございます。
日頃の言動に人物の器があわられてしまうということ
なのでしょうね。怖いですね。
でも氏康が「これで北条も終わりか・・・」と
いきなり一族の滅亡までを予感してしまうのも、
氏政としてはきつかったでしょうねぇ。
厳しい父親を持てたことは幸せだったようにも
思いますが。
どうもありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
投稿者: いろは (2006/01/29 10:30:08)


