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2005.02.05

堀秀政の和歌

「霜ののちなほあらはれむ松が枝の
         千代の緑やけふ茂るらむ」

●堀秀政【生没】天文22年(1553)~天正18年(1590)

 聚楽第行幸記より。和歌のお題は「詠寄松祝和歌」。
後陽成天皇の聚楽第への行幸は女房衆、宮、摂家、
公家衆などを引き連れ、六千人の警護と雅楽などを
演奏する怜人たちをはじめ秀吉自身も行列に参加
しました。5日間の滞在中に開かれたと思われる
松祝はどんなものだったのでしょう。植樹祭のような
ものだったかのかしら?「霜」という言葉が使われて
いますが、行幸は天正16年の4月でした。

常緑樹の松の緑の茂みにかけて、天皇と秀吉の
天下の繁栄を願って詠まれたものでしょうね。

堀秀政は秀重の子。はじめは斉藤氏に仕えますが、
のち木下藤吉郎(豊臣秀吉)に仕え、まもなく織田信長
の直臣に抜擢されました。天正6年頃長浜城主2万1千石。
荒木村重討伐や武田攻略に従軍。秀吉の中国攻めの
援兵中に本能寺の変があり、そのまま秀吉に属して
山崎の戦では先鋒をつとめます。賤ヶ岳の戦い後は
近江佐和山9万石。小牧・長久手、紀伊根来攻め、
中国征伐後には越前北庄18万850石に移封され、
村上義明、溝口秀勝を与力大名としてつけられました。
九州征伐にも従軍。次の小田原征伐の陣中で病没
しました。38歳。

投稿:by いろは 2005 02 05 | 固定リンク

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コメント

私はただ今「池田家履歴略記」の読み下し文に取り組んでいます。
たまたま、後陽成天皇が聚楽第に行幸し、和歌を詠むくだりになり
 「詠 寄松祝 和歌 御製」
の字句があり、寄松祝について調べていました。次の解釈を注釈欄に使用したいと思いますが、了解頂けますか。
「常緑樹の松の緑の茂みにかけて、天皇と秀吉の
天下の繁栄を願って詠まれたものでしょうね。」

因みに、
天皇の和歌 「詠 寄松祝 和歌 御製」  
わきてけふまつかひあれや松かえの代々の契りをかけてみせつつ

秀吉の和歌。「夏日 待 行幸聚楽第同詠寄松祝 和歌」 として
万代のきみかみゆきになれなれん緑木たかき軒のたままつ

池田輝政の和歌 「夏日 待 行幸聚楽第同詠寄松祝倭歌」(原文にこの倭の字が使われています。)
君か代の深きめくみを松の葉のかはらぬ色にたくえてそみる

よろしくお願いします。

投稿者: 篠崎 (2005/12/10 13:46:24)

 はじめまして。"いろは"と申します。
貴重なコメントをどうもありがとうございました。

>次の解釈を注釈欄に使用したいと思いますが、
 了解頂けますか。

はい。ありがとうございます。恐縮しております。
趣味的なブログではございますが、
よろしければどうぞお使い下さいませ。
ご丁寧にご連絡をいただきまして、
どうもありがとうございました。

また、天皇や、秀吉、池田輝政の和歌まで
お教えくださいまして感激しております!
とても嬉しかったです。
本当にどうもありがとうございました。

ご研究がんばって下さい。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

投稿者: いろは (2005/12/10 16:10:13)

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