2005.01.19
里見義弘の和歌
「梓弓おして向はば物部の
いる一すぢも何か引くべき」
●里見義弘【生没】享禄3年(1530)~天正6年(1578)
「梓弓(あずさゆみ)」は梓の木で作った丸木の弓。
枕詞で「引く」にかかります。しかし"いろは"には
難しい和歌です。よくわかりません。すいません。
「物部」は大和朝廷で軍事・警察・裁判を担当する役人や
律令制では刑部省囚獄司・衛門府・東西市司に属し、
刑罰を担当した下級官人を表すようですが、この和歌では
誰のことをいっているのでしょう?「おして」「引く」と
いう表現は合戦のことでもあるようですし・・・。謎です。
(詠まれた年代も不明です。)
里見義弘は義堯(よしたか)の子。上総佐貫城に拠り、
上杉謙信と結んで北条氏と対立しました。相模三浦郡を攻略。
永禄7年には太田資高、資正と結び下総・国分台で北条氏康と
戦いますが、北條綱成の率いる北条勢に敗れました
(第2次国府台合戦)。
敗戦後上総に逃れ勢力を回復しますが、天正6年に死去。
投稿:by いろは 2005 01 19 | 固定リンク
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コメント
いろはさん、こんにちは。
難しい和歌ですね。
「おして」というのは、以前弓道をやっていた友達が、
「弓っていうのは引くっていうより押すって感じだよ」
と言っていたことがあるので、下の句の「引く」という言葉と対照にするために出したのかな、
と思いました。
いろはさんの注記から「物部」を役人と解釈すると、途中まではなんとなくわかるような……
「一すぢ」「何か引くべき」がよくわかりませんね。うーん
天草四郎と秀吉の関係のエントリーも楽しく読ませていただきました。
秀吉は九州をキリスト教に奪われることを懸念して禁制を打ち出したわけですが、孫がどういう道をたどったかはわかりませんものね。
秀頼に息子がいたかどうだかが焦点になるのかなあ。
投稿者: noel (2005/01/20 15:16:13)
有楽斎です!
ご無沙汰しております^^
いいブログに成長してこられましたね~^^
うんうん、いい感じです!
情報量、質、ともに文句なしです。
感動致しました~^^
有楽斎
投稿者: 有楽斎 (2005/01/31 22:24:58)
noel様。こんにちは。"いろは"です。
ここのところ、寝込んでしまい、お返事が
遅くなってしまいまして申し訳ございませんでした。
お友達の
「弓っていうのは引くっていうより押すって感じだよ」
という言葉は印象的でした。実際にやってみないと
わからないことだらけですね。
言われてみてもまだ実感がわきませんが、
弓を押すという感覚をいつか体験してみたいですね。
まだまだ寒い日が続きますが、noel様もどうぞ
お体ご自愛下さいませ。
投稿者: いろは (2005/02/05 0:20:15)
有楽斎様。こんにちは。"いろは"です。
本当にご無沙汰してしまいまして申し訳ござい
ませんでした。体調もだいぶ戻り、これから
またがんばります!今年は(ってもう2月ですが・・・)
和歌以外にも色々な視点でブログを書けたらと
思っています。これからもよろしくお願いいたします。
投稿者: いろは (2005/02/05 0:21:01)
枕詞の梓弓は「いる(射る)」、「引く」にかかるものではないかと思います。後、物部は蘇我氏の政敵のことでしょう。
「おして向かはば」は行軍(進軍)のことかな?
梓弓は蘇我氏と物部氏の戦いにも使用され、また物部守屋は射殺されたそうなので…この歌は何かの訓示かな?
「待っているだけでは敵は倒せない」って感じかしら、皆さんはどう思いますか?
投稿者: 坂仙斎 (2005/03/27 1:05:03)
坂仙斎 様。こんにちは。"いろは"です。
コメントをありがとうございます。
なるほどなるほど、深いですねぇ。
特に最後の「べき」が訓示っぽいような
気がしてきました。
この度もどうもありがとうございました。
投稿者: いろは (2005/03/27 22:05:25)


