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2004.12.23

尼子経久の和歌

「はし鷹のみよりの翅身にそへて
           なお雪拂ふうたのみ狩場」

●尼子経久【生没】長禄2年(1458)~天文10年(1541)

 朗照集より。「はし鷹」は鷹の一種。色彩など
オオタカに似ているが小さく、主に小鳥を餌とし鷹狩に
用いたそうです。枕詞でもあります。「みより」は
鷹の右方。鷹狩で左手に据えた時、わが身に近くなる方
だから、こうゆうそうです。
(「翅」=つばさ、「拂」=はらう)
「鷹狩」と題名があります。雪の中で「鷹狩」をした
のか、歌会のお題で「鷹狩」を詠んだのかは不明です。
鷹狩は冬の行事、ちょうど今頃の時期に戦国武将達は
鷹狩を楽しんだのかもしれませんね。

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経久は出雲富田城を中心とする戦国大名。父・清貞
よりも激しい下剋上的な姿勢により富田城を追放され
ますが2年後には富田城へ再入場。
(奪回したとも、侘びを入れたともいわれています)
大内氏との領土争いのさなか毛利元就が経久の麾下に
参じたことは尼子家を優位にし、最盛期を迎えます。
しかし、嫡子政久を失い、毛利家の家督相続に介入して
元就を大内方に走らせ、更に三男興久が叛乱を起こす
ことなどが続き次第に守勢になってゆきます。
天文6年ごろ嫡孫詮久(のち晴久)にほぼ全権を移譲
しますが元就の本拠地安芸吉田郡山城を攻撃して大敗。
その10ヶ月後経久は城内で没しました。享年84歳。

投稿:by いろは 2004 12 23 | 固定リンク

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コメント

こんにちは
与六です。
中国地方の毛利元就の次に挙げられる英傑ですね。
鷹狩りの歌がなんとも経久っぽく格好いいです。
この人の作った家風が
「願わくば我をして七難八苦を与えたまえ」
に繋がったと言われてます。
そして現在のUFJ銀行まで来ると凄い!

投稿者: 与六 (2004/12/23 11:21:58)

 与六様 こんにちは。"いろは"です。
ん?UFJ銀行がでてきましたが、
尼子氏と何かゆかりがある銀行なのでしょうか?
経営者が尼子氏とか?すいません。知らなくて・・・。
でも、武将が鷹を左手に据えた姿は絵になりますねぇ。
カッコいいですね。
「願わくば我をして七難八苦を与えたまえ」
山中鹿介ですね。この人もカッコいいですね。
とても真似できません・・・。
いつもありがとうございます。

投稿者: いろは (2004/12/24 1:54:52)

こんにちは
与六です。
いろは殿、

経久の精神を山中鹿介が引き継いで、その直系の子孫が三和銀行を創設し、現在のUFJ銀行になりました。
三和銀行時代は頭取の部屋に
「願わくば我をして七難八苦を与えたまえ」
の表装が飾ってあったそうです。
旧鴻池財閥が鹿介直系になります。

投稿者: 与六 (2004/12/24 10:51:56)

 与六様 こんにちは。"いろは"です。
ありがとうございますぅぅぅ!!
そうだったのですか。山中鹿介のご子孫の方が・・・。
UFJ銀行に口座を開設したくなってきました。(^。^)
頭取のお部屋に
「願わくば我をして七難八苦を与えたまえ」
の表装があったのですね。いいですねぇ。
"いろは"も安土桃山通販でこのミニ色紙を
自分の為にも製作しようと思いました。(来年の目標!)
なんだか感激です。どうもありがとうございました。

投稿者: いろは (2004/12/25 4:46:22)

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