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2004.12.08

摩阿姫(加賀殿/前田氏)の和歌

「あかず見む幾春ごとに咲きそふる
            深雪の山の花のさかりを」

●摩阿姫【生没】元亀3年(1572)~慶長10年(1605)

 今週は豊臣秀吉の醍醐の花見シリーズと化しています。
今日は「摩阿姫」が詠んだといわれる和歌です。
「あかず」は「飽きない」の意。春がくるたびに
深雪山醍醐寺の桜を私はずっと飽きずに見ることだろう。
といった感じでしょうか・・・。この醍醐の花見の後に
摩阿姫は側室を辞していますので、この時には側室を
辞す決意はかたまっていたと思います。
来年からは誰と来るつもりだったのでしょう・・・。
そう考えると意味深な和歌に思えます。
お母さんの「まつ」とかな?

ねねの醍醐の花見の和歌
茶々(淀殿)の醍醐の花見の和歌

摩阿姫は前田利家の三女。天正10年の賤ヶ岳の戦いで
婚約者佐久間十蔵を失い、秀吉に望まれて側室となり
「加賀殿」と呼ばれます。しかし側室を嫌い慶長3年の
醍醐の花見のあとに側室を辞しています。
秀吉の死後には万里小路充房と結婚し利定を産みまし
たが離別。利定を連れて高岡に戻り病死しました。

投稿:by いろは 2004 12 08 | 固定リンク

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コメント

こんにちは
与六です。

まあの話になると、前田利家が小さく思えます。
実際、80万石の実力があった人とも思えません。
私的には大恩ある柴田権六を裏切って、秀吉にしっぽをふって親友の佐々成政に槍を向けて、娘を養女に出して、さらに側室に差し出して80万石貰った。
なんか藤堂高虎とだぶります。確かに出世の方法のひとつなのでしょうけど。
死ぬ直前に少しだけ信長様の馬前に仕えた片鱗を見せますが、結局家康相手に喧嘩できずに終わっています。
戦国の大名の女性の価値観がどのようなものだったかは想像もつきませんが、猿のような好々爺の側室にされたことを幸としたか不幸としたか本人に聞いてみたいです。
ついでに利家にも。

投稿者: 与六 (2004/12/08 13:50:18)

与六様 こんにちは。"いろは"です。
いつもありがとうございます。
"いろは"は今でも秀吉と利家は親友だと
思っているのですが、それにしても親友に
自分の娘を側室に出すというのは、やはり
違和感を感じます。う~ん。
秀吉の方も友人に娘を差し出されても
断るぐらいでないと・・・とも思います。
秀吉に娘がいたら断っていたかもしれないですね。
父親の気持ちがわからなかったのかも・・・。
利家だったら秀吉の娘を側室にしたりは
しなかったでしょうね。
摩阿姫が自ら側室を辞していることが
ちょっと救いのような気がします。

投稿者: いろは (2004/12/09 0:16:25)

 有楽斎的には利家公は大河のイメージが・・
 またそこに持っていくかと言われそう^^;
 でも、そうなんだよね~^^;

 有楽斎

投稿者: 有楽斎 (2004/12/09 0:48:10)

有楽斎様。こんにちは。"いろは"です。
大河ドラマ「利家とまつ」はまだ記憶に
新しいですよね。唐沢利家はよかったですねぇ。
品があったので「槍の又左」というイメージでは
なかったですが、年とともに成長しているのだと
思います。彼なりの正義のもとに生きたと
信じたいですね。

投稿者: いろは (2004/12/09 1:01:19)

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