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2004.12.20
上杉謙信の辞世
「極楽も地獄もさきは有明の
月の心にかかる雲なし」
●上杉謙信【生没】享禄3年(1530)~天正6年(1578)
謙信家記より。「心にかかる雲なし」まさに
そんな生き方をした戦国武将ですよね。
本人も自分の生き方には後悔がなかったと思います。
この辞世のほかに漢詩
「四十九年 一睡夢
一期栄華 一盃酒」
も辞世といわれていますが、こちらは七尾城攻略中の
陣中で詠まれたとか、後世の仮託ともいわれるなど
異説が多くあります。でも漢詩もいいですねぇ。

投稿:by いろは 2004 12 20 | 固定リンク
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一体いつぶりに記事を投稿するのだろう?(汗)皆さんに愚痴られながら、ようやく復帰しました(笑)と言っても二回目の記事なんですけど…。さて、知識の無い私に出来る事と言えば、他のサイトやブログから紹介記事や気になる記事を抜粋して紹介していくことくらいですから、....... 続きを読む
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受信: 2006/03/13 23:14:43
コメント
おおー
上杉謙信!!
春日山城趾行きましたよ。
坂がすばらしくきっつい、山城の見本みたいなところでした。
おもしろかったです。
名将は歌の才能もあるんでしょうね。文武両道という感じ。
北条氏との関わり合いにも興味があります。
うーん
やっぱまだまだ勉強しなきゃ。
投稿者: noel (2004/12/20 17:41:13)
上杉謙信公。
名前は、よく知っているのですが、その生涯については、実はあまりよく知りません。
ただ、あの戦国時代にあって、「義」一筋に生き抜いた上杉謙信公の存在は、奇跡のようにも思います。
この辞世の句も、そんな上杉謙信公らしさが、にじみ出ている 素敵な句ですね。
流嶺
投稿者: 流嶺 (2004/12/20 20:01:11)
noel様 こんにちは。"いろは"です。
うらやましいですぅぅぅ。春日山城址には
"いろは"はまだ行ったことがないんですぅぅ。
結構大変な山城なんですね。
これは体力があるうちに行かないと・・・。
何かで春日山自体が崩れだしていると聞いたことがあります。
自然界のことなので、仕方ないのかもしれませんが、
行くなら、当時の姿に近い春日山に登りたいです。
どうもありがとうございました。
投稿者: いろは (2004/12/21 3:11:27)
流嶺様 こんにちは。"いろは"です。
上杉謙信女性説などもあり、まだまだ謎が解明されきれて
いない戦国武将のひとりですね。あの謙信公の頭に巻かれて
いる布が越後では女性が巻く巻き方だったそうで・・・。
例え女性だったとしても好きな武将のひとりです。
もし女性だったら男性ファンが増えるのかな?
やっぱり減っちゃうでしょうね。
男が男に惚れるタイプの人物ですよね。
すいません。話がそれてしまって・・・。
また機会をみて謙信公はとりあげたいと思っています。
どうもありがとうございました。
投稿者: いろは (2004/12/21 3:12:18)
こんにちは
与六です。
不識公は希有な存在だったと思います。
江戸期入ってもその人気は諸将の間で群を抜いていたようです。
大名衆を見下ろしながら頭も下げずに声をかけたと言われる土井利勝でさえ
景勝公と直江兼続には正座して挨拶したということです。
なんでも兼続の方から声をかけられたときはうれしさのあまり夜は親族を招いて酒宴をひらいたという事です。
関ヶ原の「戦犯」でありながらこの人気はただごとではありません。
不識公の人気がそのまま受け継がれたという事でしょう。
そういう意味では甲斐のライバルの人気はいまひとつと言えますね。
長躯越後から関東諸将を従えて小田原城を囲んで鎌倉で関東管領の拝命。
かっこよすぎです。
不識公に軍配をまかされた兼続はどんな気持だったでしょう。
その手に奥州の黄金など触る気にもならなかったのがよくわかります。
和歌もそんな感じですね。
「潔い」
かっこいいです。
投稿者: 与六 (2004/12/21 12:47:05)
与六様 こんにちは。"いろは"です。
土井利勝の話にへぇ~へぇ~へぇ~です。
(利勝とはそんな人だったのですね。)
前任者が偉大だと後任がつらいことが多い
ようですが、上杉家はそうじゃないところが
すごいですよね。
いつもありがとうございます!
投稿者: いろは (2004/12/22 2:22:56)
最近このブログを知りました。グッズのほうも面白そうな物が多くて、目移りしてしまいます。商品の提案なんかもしてみたいですね。
上杉謙信の和歌ですが、取り上げられている辞世「極楽も地獄もさきは…」は、史料的に謙信の自作ではないかもしれません。謙信は近衛稙家卿に青蓮院流の書道と古今調の詠歌を学んだと伝えられ、都の歌会で詠んだ五首が残されています。私の好きなのは、こーんな感じ。
なれもまた 草の枕や 夕ひばり 裾野の原に 落ちてなくなり
(ひばりよ、お前も寝床のない野宿の身なのですね。夕暮れの裾野に落ちて、まだ鳴いていますか。それとも死んでしまったのでしょうか)
つらかりし 人こそあれめ 祈るとて 神にも尽くす わが心かな
(祈るほど思う人がいるのに、伝わらないのはつらいことですが、この私は神に尽くす心根なので仕方がないのです)
かなり意訳ですが…、最近の謙信の書状研究では3人の祐筆(秘書)がいたとされ、謙信の自筆の書は和歌や願文、プライベートなものに限られるようです。いずれも極めて女性的。このあたりのことも、謙信女性説の人気なのかも。
甲府の武田神社では信玄の歌集(意外と恋歌が多く、金塊風で男性的です)が販売されてますが、謙信の和歌は残っているのは10首程度。御館の乱で焼けたとも、女性であることを隠すために破棄されたとも言われています。
とりとめがなくなりましたが、メルマガも登録しました。お仕事もブログも頑張ってください。ではまた♪
投稿者: しげる (2005/08/17 22:42:46)
しげる様。はじめまして"いろは"と申します。
奥深いコメントと励ましのお言葉を
どうもありがとうございました。とても嬉しいです。
お教えいただいた和歌は確かに女性的ですね。
同じ女性として何か身近に感じてしまいます。
私の中で謙信女性説が有力になってきてしまいました。
色々と貴重なお話をどうもありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
投稿者: いろは (2005/08/19 0:05:14)


