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2004.12.04

別所長治の辞世

「今はただ恨もあらずもろ人の
           命に代る吾が身と思へば」

●別所長治【生没】永禄元年(1558)~天正8年(1580)

 今は何の恨みの心もない。私の命で多くの人の命を
助けることができるのだから・・・。
別所長治は播磨三木城主。織田信長の中国政略に際し
抗戦して秀吉の大軍に三木城を囲まれました。
籠城は2年に及びましたが城兵の助命を条件に自刃。
23歳でした。「三木の干殺し」で有名な
この籠城戦では兵糧が不足し数千人が餓死したと
いわれています。はじめ三木城には7500余騎の
他に町人や農民も籠っていたといわれますから、
長治の自刃により助かった人はかなりの数になると
思います。長治も極限状態だったかと思います。
そんな状況の中、最後に自分ができることは人々の
命を助けることだったのでしょうね。
この辞世は精神力を振り絞って吐き出した、最後の
吐息が伝わってくるように"いろは"は思います。

投稿:by いろは 2004 12 04 | 固定リンク

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コメント

こんにちは
与六です。

落城って籠城を決めた時に可能性としては常にあるものですよね。
籠城して撃退というのも多くありますが、外部からの援軍が期待できない場合は、最後の手段になるわけで、結果を「どう締めくくるか」が城主の色とか器量とか美学とかを表してますね。
別所の場合は領民を入城させていたということで選択肢は「切腹」なんでしょうね。
でも随分とがんばったと思います。
官兵衛と小六の指揮の秀吉軍を相当に手こずらせていますよね。
小さな勢力としてはあっぱれな武門だと思います。
最後は切腹、好きな武将のひとりです。

投稿者: 与六 (2004/12/05 0:18:44)

与六様 こんにちは。"いろは"です。
いつもありがとうございます。嬉しいです。
そうですね。やはり母性本能的にも誉めてあげたいと
思います。23歳という年齢は大学を卒業して
社会人1年生ぐらいですよね。
「あっぱれ」という表現もピッタリですね。

投稿者: いろは (2004/12/05 4:22:10)

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