« 武田勝頼の辞世 | トップページ | 宇喜多秀家の辞世 »

2004.12.15

武田信玄の和歌

「人は城人は石垣人は堀
      なさけは味方あだは敵なり」

●武田信玄【生没】大永元年(1521)~天正元年(1573)

 人を大切にする信玄流人間管理の基本ともいうべき和歌。
和歌というより名言といってもよいかもしれません。
家臣がいざというときに死力を尽くす士気を保つ為に
普段から情をかけておく・・・。
本拠である甲州に大きなお城を築かなかった信玄には、
まさにピッタリなのですが、一方で戦場の一人一人が
城であり、堀である「帰る城はない・・・」という厳しい
言葉と解釈される場合もあります。
優しいだけでは生き残れない戦国時代の「情」と「非情」
ですね。"いろは"が大好きな和歌のひとつです。

hitohashiro
 
 
 
 
 
 

投稿:by いろは 2004 12 15 | 固定リンク

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/60018/2272216

この記事へのトラックバック一覧です: 武田信玄の和歌:

コメント

いろはさん

お久しぶりです。なおです。
現代のさまざまな不祥事・事件など、組織の連帯感の欠如・・・人を大切にしない組織(家庭も含めて)が多くなってきたからではないかと思います。

信玄の唄を改めて考えさせられます!

そうそう、写真の色紙って何ですか?
クリックした画像が少し小さくて・・・(^^)

投稿者: なお (2004/12/15 9:44:56)

こんにちは
与六です。

この和歌は苦しい信玄坊主の胸の内がにじみでているような気がします。
古い体質のまま戦国を向かえた甲斐では、信玄の地位というより守護の地位は絶対的な物ではなくほぼ平等な立場の侍達のリーダー格といった弱い立場でした。
だから父親の信虎もあっさり追放されたし、信玄坊主も太郎義信のクーデターに合います。
「会議」が一番多かったのも甲斐の特徴です。
上から命令するということができなかったということです。
で、甲斐をまとめ、甲斐のリーダーの地位を守るためには会議が欠かせなく、リーダーとしてメンバーに「利」を与えるために他国に出兵。
この繰り返しになります。
本国甲斐は豊かになりますが征服地は植民地的な立場になります。
ローマと似ていますね。
この和歌は「私は皆さんを頼りにしています。感謝しています。」
と家臣達(同僚的な)に知らしめる信玄坊主一流のパフォーマンスだと考えられます。
そういう戦術は抜群に上手いと思います。

投稿者: 与六 (2004/12/15 14:15:46)

 なお様 こんにちは。"いろは"です。
いつもありがとうございます。
画像は安土桃山通販で売っている
「人は城」のミニ色紙です。ちょうど同じ和歌の
紹介だったので、イラスト代わりに載せてみました。
ブログは文字ばかりになってしまうので、
これからも何か画像を載せられたらと思っています。
小さすぎてすいませんでした。

投稿者: いろは (2004/12/16 1:31:36)

 与六様 こんにちは。"いろは"です。
またまた驚きです。和歌にパフォーマンス的な
要素も考えられるのですねぇ。さすが信玄公!
和歌文化も深いですねぇ。
その分その奥に隠されたことを本当に理解するのは
難しいですね。探求の楽しさはありますが、
"いろは"の能力では・・・。
また色々教えてくださいませ。
いつも本当にありがとうございます。

投稿者: いろは (2004/12/16 1:32:25)

コメントを書く