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2004.12.03
黒田孝高の辞世
「思いおく言の葉なくてつひに行く
道は迷はでなるにまかせて」
●黒田孝高【生没】天文15年(1546)~慶長9年(1604)
剃髪した時の号「如水」や黒田官兵衛といった方が
有名かもしれません。思い残す言葉が見つからない
ままついに最後になった。死にゆく道は迷わないで
なるに任せてゆこう・・・。色々考えたり、悩んだりする
ことはもうしないで、心静かにゆきたい晩年の気持ちが
表れているように思います。参謀を務めるほどの孝高なら
カッコイイ辞世をつくることも可能だったと思いますが、
そんな辞世を考えることにも疲れてしまったようにも
思えるのは"いろは"だけでしょうか?
黒田孝高は姫路に生まれ、祖父重隆が播磨の
守護赤松氏の一族・小寺氏の養子となったため、
はじめは小寺氏を称しました。職高の代より
織田信長の傘下に属して中国征伐の羽柴秀吉に
協力。天正6年に荒木村重が信長に叛いた時は
説得に向かいますが、そのまま幽閉されてしまいます。
この間に足を悪くしたといわれています。
山崎の合戦、四国征伐にも参戦し秀吉の参謀として
手腕を発揮し、九州征伐では豊前に12万石を与えられ
中津川を居城としました。慶長9年山城伏見
(一説に筑前国博多)で死去。
投稿:by いろは 2004 12 03 | 固定リンク
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コメント
こんばんは。なおです。
>なるにまかせて
の勝手な想像です。
多分、如水は主君が代わるたびにいろいろと苦労があったと思います。
その主君に合わせるには「水の如き」柔軟な生き方が要求されたのでしょうね。
そして人生最後の唄として「なるにまかせて」の悟りを開いたように感じました。
「水の如き」柔軟にして、明晰な頭脳。
晩年の秀吉を恐れさせた人物だったのが理解できます。
投稿者: なお (2004/12/03 6:21:59)
こんにちは
与六です。
福岡では圧倒的に「如水」と呼ぶ人が多いようです。
地名の「福岡」も如水の出身地と同じ名前にしたということなので、その地名に対する愛着もあるんでしょうね。
早い時期から隠居しましたが、黒田家は如水が死ぬまでは如水が実質的な当主だったみたいです。
長政も関ヶ原の一番手柄にはなりましたが凄い親父を持つのも辛かった部分があると思います。
あの後藤又兵衛が黒田家を去るのも如水の家臣であり長政の家臣ではないという事でしょう。
それだけのカリスマだったんでしょうね。
秀吉の謀臣のイメージですが家康の謀臣の本多正信よりも「美しく凄い」イメージがあります。
なんか悟りきった「やり残したことはないぞ」って辞世に感じます。
投稿者: 与六 (2004/12/03 13:43:40)
有楽斎です!
やはり官兵衛と聞くと
武田鉄矢の歌を思い出します^^;
くろだ、かんべえ、苦笑い~ひ
一生尽きがなかったとほぉ
は、くろだはぁ
かんべへぇ
にひぃがわあらひぃ~ひ
という歌ですが^^;
ご存じですか??
鉄也なまりが凄くって
よくわかんないですか^^;?
有楽斎
投稿者: 有楽斎 (2004/12/04 3:03:09)
先ごろ、読んでおりました播磨灘物語の印象から
私は官兵衛派ですね。
今日、福岡と聞くと九州の大都市を思い浮かべますが、
備前の商業都市にちなんだ名前だと存じてある方は、
かなり少ないんでしょうね。
しかし、これも官兵衛からの黒田氏の繁栄のたまものです。
秀吉から、こいつには敵わないと目をつけられて、
晩年、九州で兵を集めるも、天下の中心にいることは
なかった彼は、死ぬ間際まで自分の居場所を
探していたのかもしれませんね・・・。
投稿者: hit (2004/12/04 7:03:33)
黒田如水といえば、秀吉の天下取りの軍師として有名で、司馬遼太郎さんの「播磨灘物語」のイメージが強いですね。
既に紹介がありますが、後に黒田氏の領国となった「福岡藩」の由来は室町から戦国にかけての商業都市であった備前福岡に由来しており、黒田如水の祖父の代までこの地に住んでいたと言われています。当時は福岡千軒と呼ばれていた商業都市の栄華は現在の町並みからは想像ができません。今では備前福岡よりも目と鼻の先にある日本刀で有名な備前長船(備前福岡も備前長船も今は同じ長船町ですが)が人気があります。また更に東には備前焼で有名な伊部(現備前市)があります。
投稿者: o_sole_mio (2004/12/05 0:58:36)
なお様 こんにちは"いろは"です。
お返事がおそくなってしまいすいませんでした。
「水の如き」という号名はいいですね。
和歌ではないのですが、黒田如水が人生訓としていた
「水五訓」という名言があり、とても好きです。
水に対する受けとり方が変わりました。
ちかじか名言のカテゴリを作って
このブログでもご紹介したいと思います。
いつもありがとうございます。
投稿者: いろは (2004/12/05 4:16:17)
与六様 こんにちは。"いろは"です。
お返事がおそくなってしまいすいませんでした。
後藤又兵衛のお話にもうなづけます。
男が男に惚れるって感じでしょうか。
いいですねぇ。でも、願わくば又兵衛には
黒田家でがんばって欲しかったなぁ。
大阪の陣での死がおしまれますね。
投稿者: いろは (2004/12/05 4:16:39)
有楽斎様 こんにちは。"いろは"です。
うっ。わかりません。そんな歌があったのですね。
聴いてみた~い。(黒田節ならちょとわかります・・・)
武田鉄矢と聞くと坂本龍馬のイメージが強いですね。
武田鉄矢は黒田官兵衛も好きだったのかなぁ?
この組み合わせは意外でした。
いろいろなところにアンテナを張っていらっしゃる
のですね。楽しい情報をありがとうございました!
投稿者: いろは (2004/12/05 4:17:11)
hit様 こんにちは。"いろは"です。
読書スピードが速いですねぇ。播磨灘物語も
"いろは"はまだ未読です。ブログをはじめてから
いろいろな本を教えていただき、読みたい本が
たまってきました。今までは本の題名から戦国物と連想
できないと、なかなか手にとらなかったのですが、
とても嬉しい悲鳴です。はやく読もうっと。
私は福岡という地名が備前からきていることを
1年前ぐらいに知りました。(まだまだ青いですね。)
そう知って、備前の福岡も訪ねてみたくなっています。
投稿者: いろは (2004/12/05 4:17:31)
o_sole_mio様 こんにちは。"いろは"です。
長船町と聞いて、確か家臣に長船某という人が
いたような記憶がかすかによみがえりました。
何の本で読んだんだか・・・
日本刀で有名な町なのですね。
全然知りませんでした。
備前福岡、長船、伊部、ゆっくりまわってみたいです。
「播磨灘物語」で予習をしておかなくっちゃ。
いつも貴重な情報を本当にありがとうございます。
投稿者: いろは (2004/12/05 23:24:16)


