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2004.12.12
今川義元の和歌
「夏山の茂みふきわけもる月は
風のひまこそ曇りなりけれ」
●今川義元【生没】永正16年(1519)~永禄3年(1560)
続眺望集より。夏山の茂みに月明かりが入ってくるが
風がやんでしまうと茂みにはばまれて曇ってしまう
のだなぁ、といった感じでしょうか。
"いろは"には月明かりが風にゆれる草によってもれ隠れ
するのを見ながら「曇った、晴れた、曇った」と
大自然に見入っている姿が浮かんでしまいます。
余裕があったのか、油断であったか・・・。
この和歌が詠まれたのは永禄3年とのこと。。
同年5月19日に義元は桶狭間で信長軍に討たれました。
義元は氏親の三子。18歳の時兄氏輝が早世し家督を継
ぎました。今川・北条・武田と同盟をむすび東・北の憂いを
無くして西上しましたが桶狭間で織田信長の奇襲にあい
討死しました。
投稿:by いろは 2004 12 12 | 固定リンク
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コメント
こんにちは
与六です。
義元公としてはなんとも皮肉なことにこの歌が辞世になってしまいました。
信長様がいなければ、あるいは信長様が尾張でなければ、自ずから彼の人生も変わって来たはずですが、運命かな歴史は今川義元という名将に信長という天才を世にださせる名脇役を演じる役割しか与えませんでした。
前野家から発見された「武功夜話」では「桶狭間」が周到に計画、計算されて
主演、脚本 織田信長
演出、助演 前野将右衛門 蜂須賀小六とその仲間
で実行、成功した様子がカレンダーのような精密さで描かれています。
さすがに駿府源氏、今川義元でも1000年語り継がれるような「戦」をされては敗北もやむなしか。
救いは彼が結構大事に養育した家康が天下を取って、地元駿府で政権を動かしたことかな。
投稿者: 与六 (2004/12/12 17:18:32)
有楽斎です。
ひとつ単純な疑問なのですが
今川義元公さんとかは討ち死にしましたよね。
合戦中にどうやって時世の歌を詠むのでしょうね。
あらかじめ準備してあったのでしょうか?
武将の心得として・・・
有楽斎
投稿者: 有楽斎 (2004/12/13 13:21:51)
与六様 こんにちは。"いろは"です。
「武功夜話」の存在を最近知ったばかりです。
信長というと「信長公記」というイメージが
強かったので比較したり、研究されている方は
楽しいでしょうね。古文書が読めたら
かっこいいなぁ・・・。与六様は本当に
お詳しいですね。いつもありがとうございます。
投稿者: いろは (2004/12/14 1:56:37)
有楽斎様 こんにちは。"いろは"です。
辞世はあらかじめ準備していた武将も多いようです。
そういう武将は別として、確かに戦闘時の
装備に筆など持参していたのでしょうかね?
時代考証の本などをカンニングしてみましたが、
載っていませんでした・・・。すいません。
投稿者: いろは (2004/12/14 1:57:10)


