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2004.12.11

筒井順慶の和歌

「筒井づつ筒井の底の清水かげ
        むすぶ手多きけふのしののめ」

●筒井順慶【生没】天文18年(1549)~天正12年(1584)

「筒井づつ」は筒井にある丸い筒の井桁。
「筒井」は井戸の地上の部分を木・石・土管などで囲んだもの。
(本来は円形ですが広く方形のものをもいうそうです。)
「しののめ(東雲)」は①東の空がわずかに明るくなる頃。
②明け方に東の空にたなびく雲。
井戸をのぞくと底の清水にたくさんのてをつないだような
明け方の雲が映っているということなのかな?
う~む。"いろは"にはちょっと難しい和歌です。

筒井順慶は大和興福寺の官符宗徒(僧兵)筒井順昭の子。
順昭の代でほぼ大和全域を平定しましたたが順昭は順慶が
2歳の時に亡くなります。松永久秀に筒井城を追われて
興福寺で得度、陽瞬順慶と名乗りました。
その後織田信長に接近し、大和を与えられた。
山崎の合戦では秀吉に名器「井戸茶碗」を持参して領国の
安堵を得ます。謡曲、茶の湯にも優れた風流人でもあった
そうです。36歳で没。意外に若かったんですね。

投稿:by いろは 2004 12 11 | 固定リンク

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コメント

こんにちは
与六です。

謀略、裏切りは戦国では立派な戦術であり、戦将の大事な要素であり、醜い物ではありません。
よく比較されるこの人と小早川秀秋ですが、どうなんでしょう。
家が存続していれば秀秋の裏切りも今日のようなとらえられかたはしてなかったと思われます。
期を見て劣性の東軍に勝ちをもたらせたのは彼の行動でもあるわけで・・・
そういう意味では酷評が多すぎる気もします。
決して美しくは思えませんが。
で、この人の場合は・・・
残念ながら彼の辞世は忘れられ、間違いであるにしろ
「洞ヶ峠を決め込む」
だけが21世紀まで伝わっています。
最後まで決断しないで日和見をした方が美しくないと思いますが。
左近が去るのも頷けます。
やっぱどちらも美しくないですね。

投稿者: 与六 (2004/12/11 23:59:21)

与六様 こんにちは。"いろは"です。
いつもありがとうございます。
そうでした、島左近は筒井家家臣だったの
でしたよね。その後、石田三成に仕えた気持ちが
ちょっとわかるような気がしますね。

「洞ヶ峠をきめこむ」を初めて聞いた方へ。

京都府南部と大阪府枚方市との境にある峠。
天王山の南約7kmにあり、1582年の山崎の戦いに
明智光秀がここに来て、筒井順慶の去就を問うた。
この事実が、順慶がここに陣して形勢を観望したと
誤伝されたことにより、両方を比べ、有利な方に
つこうと日和見すること。

上記は広辞苑の「洞ヶ峠」説明文からです。
広辞苑にまで載ってるんですね。ある意味すごいですね。
歴史に名を残すって・・・。

投稿者: いろは (2004/12/12 14:24:27)

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