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2004.12.10
松の丸殿(京極龍子)の和歌
「打群れてみる人からの山櫻
よろづ代までと色にみえつつ」
松の丸殿【生没】?~寛永11年(1634)
豊臣秀吉の醍醐の花見シリーズ。(すいませんしつこくて)
今日は「松の丸殿」が詠んだといわれる和歌です。
「色」には物の情趣、風情といった意味があります。
松の丸殿の予言(?)どおり、醍醐寺の桜は現在でも
美しく名所となっていますよね。桜の木も成長して
当時よりは、もっと華やかになっているかと思います。
よろづ代まで私達も残してゆかなくては・・・
醍醐寺に行ったらお賽銭を奮発しなくては・・・
余談ですが、松の丸殿は淀殿と従姉妹の関係です。
しかし醍醐の花見では側室の権威争いからケンカを
してしまったエピソードが伝わっています。
やはりこの花見、楽しいものではなかったかも
しれませんね。
「帰りたくない」というような和歌を残している
他の側室もいます。
ねねの醍醐の花見の和歌
茶々(淀殿)の醍醐の花見の和歌
摩阿姫の醍醐の花見の和歌
三の丸殿の醍醐の花見の和歌
松の丸殿は京極高吉の女。はじめ若狭守護武田元明に嫁ぎ
ましたが、元明は本能寺の際に秀吉に殺されてしまいます。
このとき弟の京極高次も秀吉に敵対したので、実家京極家の
ためすすんで秀吉の側室となりました。伏見城の松の丸に
住んだので松の丸殿と呼ばれています。秀吉の死後は
髪をおろし、関が原の合戦後は京都の誓願寺に帰依して
秀吉の菩提を弔いました。
投稿:by いろは 2004 12 10 | 固定リンク
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コメント
こんにちは
与六です。
松の丸殿と淀殿の杯争いは有名ですね。
花見と杯争い。
朝鮮出兵中という戦時下の光景とは全くかけ離れた、ずれてしまった豊臣政権末期の姿が象徴されてるような気がします。
ちなみにこの松の丸殿の歌は細川幽斎の添削とのことです。
女同士の競争は不正?も生んでいるのがおもしろいです。
投稿者: 与六 (2004/12/10 13:16:56)
与六様 こんにちは。"いろは"です。
へぇ~。細川幽斎の添削なのですね。
貴重な情報ありがとうございます。
杯争いをしたり、少しでも良い和歌をと
添削してもらったり気苦労の多い一日だったので
しょうねぇ。やはりお花見は心を空っぽにして
自然の風情を楽しみたいですよね。
寒くなってきたので、もう桜が咲く季節が
待ち遠しいです。
投稿者: いろは (2004/12/11 1:02:31)


