2004.12.02
織田信孝の辞世
「むかしより主をうつみの野間なれば
むくいを待てや羽柴筑前」
●織田信孝【生没】永禄元年(1558)~天正11年(1583)
信孝は織田信長の三男で、神戸具盛の養子となりました。
本能寺の変の時は秀吉とともに明智光秀を討ちますが、
その後対立して岐阜城で挙兵、兄の信雄の攻撃にあい、
尾張の野間大御堂寺で自刃します。享年26歳でした。
とにかく秀吉を恨んでいた気持ちが伝わってきます。
辞世に名指しされるのも珍しいですね。
辞世にもある「野間」の地は昔、源義朝(頼朝の父)が
家臣に討たれた場所です。信孝は義朝の気持と
自分の気持ちがだぶったのでしょうか?
主を討つと報いを受けるぞと脅迫しているような
若さならではの辞世のような気がします。
投稿:by いろは 2004 12 02 | 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/60018/2128450
この記事へのトラックバック一覧です: 織田信孝の辞世:
コメント
こんにちは
与六です。
信孝様の辞世ですね。ありがとうございます。
名指しの辞世は珍しいですよね。
「恨み」と「悔しさ」だけが込められていますね。
「名を残す」とか「美を飾る」とかそんな余裕は全くなかったんでしょうか。
お市様を勝家に再嫁させた事も秀吉には気に入らなかったのかな。
独特の辞世ですが、秀吉の非道も伝わります。
もしそれだけをうったえたかったとして詠んだ辞世ならば、ある程度は成功していると感じます。
これも辞世のひとつの使い方なのでしょうか。
ちなみに私はこの辞世をはじめて読んだ後に秀吉の行動と信孝様の行動をおさらいして調べたことがあります(笑)
投稿者: 与六 (2004/12/02 13:04:12)
与六様 こんにちは。"いろは"です。
本当ですね。この辞世の使命は秀吉の非道を
伝えることだったのかもしれないですね。
本人が生まれた意味も同じだと気の毒です。
しかし26歳、もったいなかったですねぇ。
この辞世を忘れないで後世に伝えてゆくことが
彼の供養になるような気がします。
どの辞世もそうかな。
いつもありがとうございます。
投稿者: いろは (2004/12/02 14:30:09)
はじめまして。龍華成と申します。
今更なのですが、疑問がひとつございますので、書き込みさせていただきました。
『あるじをうつみの野間』の「うつみ」は
野間の近くにある内海の地名と、主を討つがかけてあるのだと思っていたのですが、管理人様がとくに言及なさっておられなかったので、これはただの偶然(私の勘違い)だったのでしょうか。
お教えいただけると嬉しいです。
投稿者: 龍華成 (2005/02/18 5:44:29)
龍華成様。はじめまして。"いろは"です。
コメントをいただきましてありがとうございました。
私も「内海の地名と掛けてある」と何かで読んだか、
見た記憶があります。その資料が手元にありませんが、
おっしゃるとおりで良いと思います。
「うつみ」が平仮名になっているのも、
掛けてあるためなのかもしれませんね。
断言できず申し訳ございません。
これからもよろしくお願いいたします。
投稿者: いろは (2005/02/18 13:28:42)
川角太閤記
むかしより主をうつみのうらなれは むくいをまてやはしはちくせん
張州府志
むかしより主をうつみの野間なれば むくひをまてや羽柴筑前
三河後風土記
いにしへも主を内海の縁(浦)あれば むくいをまてや羽柴筑前
勢州軍記
昔より主をうつ海の野間なれは尾張を待てや羽柴筑前
北畠物語
昔より主をうつみの野間なれば おはりを待や羽柴筑前
氏郷記
昔より主を内海の浦なれば尾張を待てや羽柴筑前
出典くらい載せたほうがいいよ。ひとつじゃないからね、素人さん。
投稿者: 坂仙斎 (2005/03/27 0:01:21)
坂仙斎 様。はじめまして。"いろは"です。
たくさん教えていただきまして感激です。
ありがとうございます。すごいですね。
こんなに色々と伝わっているのですね。
出典をメモし忘れてしまいわからなかったのですが、
お知らせいただいたものを見ますと「張州府志」の
ようですね。わかってとても嬉しいです。
本当にありがとうございました。
出典については今後きをつけます。
色々ご教授いただきまして
どうもありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
投稿者: いろは (2005/03/27 22:03:00)


