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2004.11.09

高橋紹運の和歌

「かばねをば岩屋の苔に埋みてぞ雲居の空に名をとどむべき」

●高橋紹運【生没】天文17年(1548)~天正14年(1586)

「かばね」は屍。「岩屋」は紹運が守っていた岩屋城(筑前)
です。高橋紹運記35より。岩屋城を攻めていた島津忠長が
紹運の武勇をたたえつつ「誰もが大友氏を見限っている時、
なにゆえの忠義ぞ」と問うと「主人の盛んな時に役立つ
武士はいかほどにも候、衰えたるときに腹を切ってこそ
誠の武士にて候。」と紹運は答えたといいます。
紹運は城の櫓に登り、敵味方の見守る中で自刃しました。
豪快さと爽やかさまで感じてしまいます。享年39歳です。
若いですよね。

投稿:by いろは 2004 11 09 | 固定リンク

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コメント

 有楽斎です。
 いいですね~^^紹運公。
 紹運公の守った四王寺山は九州は太宰府市にあります。
 この山、そのまた昔は
 大野城という山城があったところです。

 白村江の戦いで敗れた日本軍が
 敵の上陸から太宰府を守るため
 この山に城を築き、
 水城という土で作った堤防も作りました。

 その後時代は下って
 この山に岩屋城が建てられました。
 福岡市東区の立花山には
 立花山城という城があったのですが、
 この城の支城という位置づけだったようです。

 この立花山城は博多湾が眼下一望に見渡せ
 陸と海からの敵の侵入を
 いち早く察知することができる要所でした。
 当時堺と並ぶ自由都市だった博多を
 手にいれるため群雄はきそって
 この立花山城を奪いあったようです。

 高橋紹運公の実のお子さんに
 立花宗茂公がいますが
 この宗茂公も岩屋城に籠城し
 父と戦うと主張しますが
 彼に対して紹運公は
 「おまえは生き延びよ」と諭し
 立花山城に引かせます。
 そしてあの岩屋城籠城戦となるわけです。

 は・・・
 ついつい興が乗りすぎました^^;
 こういう歴史談義をしはじめると
 終わらない~^^;

 四王寺山の岩屋城へのアクセスは
 西鉄福岡駅から久留米方面の電車にのり、
 二日市駅下車。
 二日市駅で太宰府線に乗り換え
 太宰府駅までいきます。
 ここには太宰府天満宮があります。

 駅舎を出て左の山が四王寺山。
 右奥の山が霊峰と伝えられた宝満山。
 そして、私の妻の実家は
 この太宰府天満宮参道で
 梅園という和菓子屋を営んでおります。
 お帰りの際はお立ち寄り下さいませ~^^ 
 
 長くなり失礼しました^^;

投稿者: 有楽斎 (2004/11/10 1:05:09)

有楽斎様。"いろは"です。
感激です!!どうもありがとうございました。
四王寺山は大宰府だったのですね。
紹運公のお墓が崩れないことを祈るばかりです。
大宰府天満宮へは行ったことがあるので、
景色の中に四王寺山を見ていたのかもしれません。
うかつでしたぁ。また大宰府へいったら梅園に
寄らせていただきますね。
どうもありがとうございました。

投稿者: いろは (2004/11/10 1:35:42)

4月24日高橋紹運ゆかりの高橋文二さんに紹介されて、戦国時代、大友氏が築いた福岡市西区の「柑子岳城」に行って来ました。この山城は、東区の立花山城・太宰府の岩屋城と共に筑前博多を守った城跡です。
実は、私も大友家家臣の子孫です。故郷は大分市中判田小獄城

福岡市在住の大友家ゆかりの人々および立花山城・柑子岳城・岩屋城ゆかりの人々で一度集まりたいですね。

投稿者: ひろし (2007/04/25 6:37:47)

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