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2004.11.06

大内義隆の辞世

「討つ人も討たるる人ももろともに如露亦如電応作如是観」

●大内義隆【生没】永正4年(1507)~天文20年(1551)

 大内義隆は尼子遠征の富田城で敗北後、学問・文芸に没頭
するようになります。天文17年には従二位に叙任され、
将軍をのぞけば武家として最高の階級となりましたが、従来
からの文治派、武断派の対立や文事に走る義隆への不満
から陶晴賢らに排斥され、深川の大寧寺(長門市)に火を
放たせ45歳の生涯を閉じます。「討つ人」は陶晴賢ら、
「討たるる人」は自分、どちらもその行為は露のように、
また雷(いかづち)のようにむなしいものだということ
なのでしょうね。「如露亦如電応作如是観」の読みは
「にょろやくにょでんおうさにょぜかん」金剛経の一句です。

投稿:by いろは 2004 11 06 | 固定リンク

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コメント

 有楽斎です。
 今日四王寺山に登ったんですが
 高橋紹運公の墓が危うく崖崩れで
 流される寸前だったようです。
 数十m先は崩落してました。
 しかし、紹運公の墓は無事。
 うむ~、さすが亡くなっても
 強いお方ですね~^^

 有楽斎

投稿者: 有楽斎 (2004/11/08 0:11:02)

コメントありがとうございます。
"いろは"です。お返事が遅くなってしまい
すいませんでした。紹運公のお墓に
行かれたのですね。四王寺山とは
どこにあるのですか?
よかったら教えてくださいませ。
先程、高橋紹運公の和歌も投稿しました。
これからもどうぞよろしくお願いします。

投稿者: いろは (2004/11/09 1:51:19)

8年前山口市を訪ねました。陶晴賢の菩提寺である瑠璃光寺は名所として観光客も多く、広い駐車場もありました。一方討たれた大内家の方は龍福寺、ここも立派なお寺でした。ついでに当時の土塀の跡があると聞いていたので探しました。トラックの中で昼食を摂っていたおばちゃんに「あそこだよ」と教わり、行ったところが竹藪の中、こんもりした土のかたまりがあるだけでした。栄枯盛衰の跡を見、寂しさを感じました。
大内家は大の京都マニア、町作りも京風でした。桂川と見立てた一の坂川、往時を偲びながら歩き家路に就きました。

投稿者: 楽遼 (2006/05/11 20:20:03)

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