2004.11.30
柴田勝家の辞世
「夏の夜の夢路はかなき跡の名を
雲居にあげよ山郭公」
●柴田勝家【生没】?~天正11年(1583)
「郭公」は「ほととぎす」。カッコウ目カッコウ科
の鳥です。天正11年4月24日、勝家は北の庄城
にて別れの酒宴をひらいた後、天守閣に登って
火を放ち、妻お市とともに無念の死を遂げました。
その最後にお市と取り交わした辞世の句です。
享年62歳。二人の結婚生活はわずか半年でした。
"いろは"にはなんとなくわかるような、
わからないような辞世です。明日はこの辞世に対する
お市の辞世を紹介するつもりですが、
2人にしかわからない意味があるような気がします。
郭公に思い出があったのかもしれないし、
何が二人の秘密の夢を語り合って約束していたことが
あったのかもしれません。
旧暦とはいえ4月24日でもう夏なのでしょうか。
郭公は夏の季語でもあります。何かこの辺りにも
隠されたものがあるのかな・・・
投稿:by いろは 2004 11 30 | 固定リンク
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コメント
明日のお市の方の辞世が楽しみです。
勝家といえば、一度信長を裏切って謀反してから許されて忠義を尽くした忠臣のイメージがあります。
何でも器用にこなす、出世街道の秀吉とはそりが合わなかったのでしょうね。。。
意味不明のコメントですみません。
投稿者: なお (2004/11/30 11:08:47)
なお様 こんにちは。"いろは"です。
そうですねぇ。大河ドラマ「利家とまつ」では
勝家はとてもよい人に描かれていましたね。
それぞれよいところがたくさんあるのに、
どうしてもソリが合わないということは
あるのですね。もったいない・・・。
勝家としては、信長のような新しい感覚の上司
に必死に対応し、また秀吉という新しいタイプ
の上司に対応することを考えるのは年齢的にも
精神的にも対応しきれなかったのかも
しれないですね。
投稿者: いろは (2004/11/30 11:56:28)
こんにちは
与六です。
辞世には2種類あると思います。
ひとつは秀吉や謙信、政宗のようにまだ辞世が詠めるときに準備して残したもの。
ひとつは戦場で、あるいは切腹前に今まさに「死」を目の前にして残したもの。
「和歌」として純粋に考えた場合は前者の方が修作が多いそうですが、私は後者の方が好きです。
なんか戦国武将の「値打ち」がそこに表れるような気がします。
多くは辞世どころではなかったという事もありますが、やっぱり「死」を目の前にして辞世が残せる強さを持っている事自体が凄いと思います。
そういう意味では大谷吉継、高橋紹運、柴田勝家などは戦場で素晴らしい辞世を残して格好いいと思います。
投稿者: 与六 (2004/11/30 13:51:30)
与六様 こんにちは。"いろは"です。
本当におっしゃるとおりですね。
意識していませんでしたが2種類ある
というのもとても納得です。
"いろは"なら合戦時の死の直前にはパニック状態
できっと辞世どろこではないと思います。
ましてや、返歌を返すのは更に難しいですと思います。
柴田勝家の辞世へ返歌した
をアップしました。おちついていますね。
すごいなぁ。
いつもありがとうございます。
投稿者: いろは (2004/12/01 1:55:12)


