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2004.11.21

前田玄以の和歌

「さく梅の一もとゆゑに常葉なる
          木々もみながら色にこそなれ」

●前田玄以【生没】天文8年(1539)~慶長7年(1602)

 咲いている梅の木が1本だけしかないからこそ、
周りの常緑樹に映えてなお風流だということでしょうか。
「色」には「風流である」という意味があります。
この和歌は天正16年聚楽第歌会にて詠まれたものです。
聚楽第の庭の光景がうかがいしれる嬉しい歌でも
ありますね。

 前田玄以は丹波亀山5万石の領主。秀吉五奉行の
一人でもあります。美濃出身で比叡山に入って僧となり
尾張小松原寺の住職になったといわれています。
本能寺の変の時に織田信忠の命で安土にいた
三法師丸(信忠の嫡男・後の秀信)を守って清洲に
移りました。秀信の傅役をつとめる一方で京都の
所司代となり深い学識に基づく庶政をおこないました。
関ヶ原の戦いの時には表面上は西軍に属しながらも
三成挙兵を家康に通報するなどして所領安堵を得ますが
まもなく病没。

投稿:by いろは 2004 11 21 | 固定リンク

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コメント

 聚楽第ですか!
 一度見てみたかった~!
 燃えたんでしたっけ?
 凄い建築物だったのでしょうね・・・
 いろはさんがご紹介して下さる武将は
 本当に多彩ですね!
 新しいスポットライトが当たり
 興味もますます湧いてきます^^

 有楽斎

投稿者: 有楽斎 (2004/11/21 23:20:07)

こんにちは。"いろは"です。
京都の西本願寺に今でも残る
飛雲閣という建物が、聚楽第から
移築されたものだといわれています。
(特別公開の時にしか見ることが
 できませんが・・・)
この和歌の梅の木もどこかに
移植されていないかなぁ・・・
何気なくどこかで毎年咲いているかも
しれないですね。

投稿者: いろは (2004/11/22 1:15:46)

こんにちは
与六です。
聚楽第といえば私の母校(高校)のグランドの入り口は聚楽第の門のひとつです。
場所は萩城の外堀の中で、地名としては堀内といいます。
萩城の大手門のすぐそばです。
色が大分あせていますが(当たり前ですね)朱色の唐様の門です。
さすがに立派です。
ちなみにこの門のすぐ裏手に毛利輝元の墓があります。
毛利家の菩提寺ではなく、ひとりだけ城のそばの聚楽第の門の裏で眠っています。
観光客も滅多に来ない寂しい場所で一時は「毛利120万石の太守の墓」なんてイメージはありません。

投稿者: 与六 (2004/11/27 23:32:15)

与六様 こんにちは。"いろは"です。
聚楽第の門があるのですねぇぇぇ!!
高校の入り口なんですねぇぇ!これは萩城に
行くときには必ず寄りたい重要ポイントですね。
貴重~な情報をありがとうございます。
嬉しいです!!
毛利輝元の墓にもお参りしなくては・・・
本当にどうもありがとうございました。

投稿者: いろは (2004/11/28 16:54:37)

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