« 平塚為広の和歌 | トップページ | 前田玄以の和歌 »

2004.11.20

大谷吉継の和歌

「契あらば六つの衢に待てしばし
      おくれ先立つたがひありとも」

●大谷吉継【生没】永禄2年(1559)~慶長5年(1600)

 六つの衢(むつのちまた)は仏教用語で、命ある
ものが善悪の業によっておもむき住む6つの迷界。
(地極、餓鬼、畜生、修羅、人間、天。)
六観音、六地蔵、六道銭などはこれに由来するそうです。
前後はするだろうがお互い死ぬことになるであろうから
六つの衢で待っていて欲しい・・・。吉継が関が原の
合戦時に平塚為広(腹心)から贈られた和歌に対しての
返歌です。いいですねぇ。男の信頼関係というか、
友情というか・・・たまらなく"いろは"は大谷吉継が
好きです。

平塚為広の和歌
 

吉継は天正13年、従五位下刑部少輔に叙任され、
同17年越前敦賀城に封じられ5万石を領しました。
豊臣秀吉に信任され「百万の軍の軍配を
あずけてみたい」と褒められたといいます。
奉行として九州平定、小田原征伐などに従軍、
関ヶ原の合戦では仲のよかった石田三成から協力を
求められ病躯にもかかわらず陣頭指揮をとりますが、
小早川秀秋の裏切りにより敗戦が必至となり自刃します。

この和歌は三河後風土記下巻第三十九
「大谷平塚戸田討死附西軍敗走の事」より。
常山紀談巻之十三にもこの贈答歌があり、こちらは

「契あらば六つの衢に待てしばし
      おくれ先立つことはありとも」

となっています。


投稿:by いろは 2004 11 20 | 固定リンク

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/60018/2017580

この記事へのトラックバック一覧です: 大谷吉継の和歌:

コメント

こんにちは
与六です。
関ヶ原のあの西軍の中にあって、唯一美しいのがこのふたりだと思います。
男として「かくあるべし」という憧れを覚えます。
九州の高橋紹運と立花道雪、大谷吉継と平塚為広。
「義」を越えた壮絶な「義」がありますね。
そういう盟友を持つことは人生の大事なテーマですね。
かっこいいです!

投稿者: 与六 (2004/11/27 23:53:58)

与六様 こんにちは。"いろは"です。
本当に本当にかっこいいですよね。
「男」と「男」は義。
「男」と「女」は愛。
「女」と「女」は・・・

う~ん・・わかりません・・・。
時代が違っても美しい生き方を追求したいなぁと
思います。ありがとうございました。

投稿者: いろは (2004/11/28 16:57:58)

私も大谷吉継公は最も好きな武将の一人です。大谷吉継公に病さえなければ、もっともっと優れた業績、活躍を重ね、もっと大きな石高を得ていたことは間違いなく、また関ヶ原決戦においても、勝利を収めていたことは十分期待できたことだと思います。それを思うととても残念であり、それと同時に大谷吉継公の偉大さが再認識されてまいります。また、彼は、人は病に蝕まれても、これだけの活躍ができ、業績をあげられるんだ、ということを後世の人に教えてくれてもいるのです。まさに名将中の名将、名将という言葉はまさに彼のために生まれてきたことばだ、と言っても過言ではないでしょう。平塚為広公も立派な名将ですが、それだからこそ、二人の間に深い絆が結ばれたのではないかと思います。また、そんな大谷吉継公が命をかけてつくした石田三成公も、立派な名将だったに違いありません。

投稿者: 島 左近 (2004/12/26 15:51:48)

 島 左近 様 こんにちは。"いろは"です。
「人は病に蝕まれても、これだけの活躍ができ、
業績をあげられるんだ、ということを後世の人に
教えてくれてもいるのです。」というコメントに感動です。
私も大谷吉継が好きですが、こうゆう風に考えたことは
今までありませんでした。現在病にかかっている人にも
勇気を与えていたのですね。生き様で語るかっこいい
武将ですよね。ありがとうございました。

投稿者: いろは (2004/12/28 0:23:48)

コメントを書く