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2004.11.15
足利義昭の和歌
「もろ供に月も忘るな糸桜年の緒ながき契と思はば」
●足利義昭【生没】天文6年(1537)~慶長2年(1597)
続応仁後記巻9「南陽寺花御会事」より。永禄11年
3月下旬ごろ朝倉氏の居城のある一乗谷の南陽寺で
行われた催しでの和歌。シダレザクラのように長く
時間はかかるではあろうが、ここにいる皆も夜空に
でている月もこの約束だけは忘れないでほしい・・・?
契りは自分が将軍として弱体化した室町幕府を再興
することを各地の戦国大名達に依頼したことでは
ないかと思います。義昭が15代将軍となったのは
この年の9月でした。でも義昭を奉じて幕府再興を
実現したのはこの会のメンバーではなく織田信長
でしたね。義昭のあせりのようにも、なかなか動いて
くれない朝倉氏へのひにくのようにも"いろは"には
思えてしまいます。
投稿:by いろは 2004 11 15 | 固定リンク
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コメント
足利義昭公といえば、すっごい筆まめな将軍だったというイメージがあります。
室町幕府将軍という肩書きがあったにせよ 書状ひとつで、織田信長包囲網を形成した能力はすごいことだと思います。
信長包囲網は、結局失敗に終わりましたが、足利義昭公と織田信長をとりもった明智光秀が、本能寺の変で信長を討ち取ったことを思うと 足利義昭公は、織田信長の最大の敵だったのかもしれませんねぇ。
投稿者: 流嶺 (2004/11/15 19:20:37)
有楽斎です。
流嶺さん、さすが深いですね、読みが・・。
洞察力が素晴らしい!
筆まめな将軍というイメージは
どのようなところから湧いたんでしょう??
興味津々。
この方は武勇にも優れていたんでしたっけ?
文武両道と策にも富むという方ですか??
有楽斎
投稿者: 有楽斎 (2004/11/15 23:25:36)
いつもありがとうございます。"いろは"です。
そうですねぇ。書状で織田信長包囲網を形成
した能力は確かにすごいと思います。
彼なりに幕府再興の構想は多々あったと思います。
筆まめといえば、徳川家康もそんなイメージですね。
武力もさることながら、思いを伝える能力も重要
だったのでしょうね。それが政治力なのかなぁ?
足利義昭の概略は↓
の中ほどにあります。(非常に簡単ではありますが)
人物像はいまひとつ把握していませんが、直属の
軍勢がもっとあったらそれなりだったかもしれませんね。
お金もない、人もいない・・・一度衰退してしまった
幕府を立て直すのは容易ではなかったと思います。
不運なことに織田信長がすごすぎる人でしたら・・・。
投稿者: いろは (2004/11/16 1:20:33)
なるほろ~!
六角とか出て来たら
戦国の初期って感じですよね~^^
なんか楽しいっす^^
投稿者: 有楽斎 (2004/11/16 23:56:03)


