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2004.10.31

石田三成の辞世

「筑摩江や芦間に灯すかがり火とともに消えゆく我身なりけり」

●石田三成【生没】永禄3年(1560)~慶長5年(1600)

筑摩(ちくま)はツクマとも読み、古来の琵琶湖東端の地名
です。近江出身の三成には筑摩は故郷でもあり、
最後に領していた佐和山がある地でもあり、秀吉との
出会いの場所でもありますね。
"いろは"は「かがり火」を秀吉に置き換えられるのでは
ないかなぁと感じています。
秀吉が没して三成を照らしていたかがり火(威光?)
が細く消え入るように三成の人生は消えいってしまった・・・。
少し秀吉への哀慕も感じてしまうのは"いろは"だけかな。

投稿:by いろは 2004 10 31 | 固定リンク

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コメント

正義のために立ち上がった石田三成を卑怯なやりかたで屠った徳川家康。その徳川の時代が長く続いたため、石田三成は悪者にしたてあげられ、でっちあげられましたが、いつまでも人をだまし続けられるものではありません。心ある人は、しっかりと石田三成の真の評価をしています。徳川の時代でさえも、水戸の光圀公は大日本史の中で三成の評価をしておりますし、現代でも、多くの人が彼の真価を認めています。関ヶ原決戦の結果は残念でなりませんが、石田三成の義を貫く心は、学ぶべきところが多いと思います。ずい分前になりますが、関ヶ原に行き、笹尾山や佐和山城址にも行ってきました。ここでの仮名に私の大好きな武将の一人である方の名をいただいてしまっておりますが、私の先祖は、あの関ヶ原決戦の時、徳川方についてしまったようですが、私が当時に生まれていたら、必ずや三成に味方して、豊臣方を勝利に導いてみせる、(やりようによっては無理ではないと思うのですが)なんていってもどうしようもありませんが、佐和山に登った時はなんとなく肩身が狭い思いがしました。

投稿者: 島 左近 (2004/12/26 4:01:11)

 島 左近 様 こんにちは。"いろは"です。
私も関が原では石田三成派です。西軍武将が
好きです。水戸の黄門様が三成を認めていたことは
知りませんでした。さすがは黄門様ですね。
教えていただきありがとうございます。
佐和山に登られたのですね。いいなぁ。
私はふもとまで行ったのですが、登り口がわからず、
断念してしまいました。近くに地元の方が三成を
たたえた公園があったと思います。地元では愛されて
いるのだなぁと妙に嬉しかったです。

投稿者: いろは (2004/12/28 0:22:44)

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