2009.04.06

豊臣秀康(結城秀康)の和歌

 「思ひきや この島山に より来つつ
   散り残りたる 花を見むとは」

●豊臣秀康(結城秀康)
【生没】天正2(1574)~慶長12年(1607)

豊臣秀吉は島津氏征伐の途中、安芸の厳島に
立ち寄り、詠まれた各短冊は水精寺に
おさめられたそうです。秀吉の和歌は、

 「咲きしより 眺めにあかぬ 厳島
   みせばやと思ふ 雲の上人」

他に、増田長盛、石田三成、大谷吉継、長束正家
吉川元長。
(豊公歌集)

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2009.03.31

北条氏綱の和歌

 「眺むれば 夕日いざよふ うす紅葉
   さながら山の錦織りかく」

●北条氏綱
【生没】文明18(1486)~天文10年(1541)

「朗照集」にあり「秋夕」と題名がついている
そうです。

(桜の季節に秋の和歌を更新してしまいました…
すいません・・・maple

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2009.01.20

伊東義賢の和歌

 「ともなひしその面影もまぼろしも
   問えど答えぬ浅茅生のもと」

●伊東義賢
【生没】永禄11(1568)~文禄3年(1594)

日向飫肥城主義益の子。父の死後は祖父の義祐に育てられ
ましたが、伊東家の没落で、大友義鎮に養われました。
文禄元年には朝鮮派兵に出動、帰国途中に病死しました。

伊東義益へ

日向記巻十一「高麗御渡海並働事」。
この歌は「病中いとと悪筆にて」とあるそうで痛々しく
悲しくなります。釜山を出港したのち対馬から壱岐に
渡る船中で亡くなったそうです。

「浅茅生(あさぢふ)」は茅(ちがや)がまばらに生えた所。
転じて、荒れ果てた野原。
「茅(ちがや)」・・・イネ科の多年草。高さ約60センチ程度で
地下茎は横走して群落をつくり、春、葉より先に柔らかい
銀毛のある花穂をつける。

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2009.01.07

伊東義益の和歌

 「閑(しづか)なる時世に花もおくれじと
   先づ咲きそむる山櫻かな」


日向記巻八の「田原山陣 並 義益早世時」のところに
でてくるそうなので、辞世かもしれません。
「辞世」と「時世」をかけたような気もしますが、
島津氏との対陣中に亡くなっているので「閑なる」には
違和感を感じます。
「閑」には暇という意味もありますので、病床で
動けないもどかしさも含んでいるのかな・・・?

●伊東義益
【生没】天文15(1546)~永禄12年(1569)

日向飫肥城主。義祐の子。永禄3年には家督を継ぎ、
伊東氏の全盛期をつくりましたが、島津氏との
対陣中に24歳で病死しました。

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2008.12.31

目次

【お知らせ】
 今までの辞世関連記事の目次ページを
ホームページに作成してあります。
目次へは下記へ↓どうぞ。

http://www.aduchimomoyama.com/iroha_4.htm

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2008.12.19

伝・竹中重治の和歌

 「城攻の一番乗は他力にて
   鎗あはするは自力なりけり」」

この和歌は「佃が軍歌」にあり、竹中重治の歌と
伝えられているそうです。

●竹中重治(半兵衛)
【生没】天文13(1544)~天正7年(1579)

はじめ美濃の斉藤竜興の家臣。わずか十数人で稲葉山城を
奪取したことは有名。その後近江の浅井長政に出仕し、
織田信長の美濃平定後は信長に仕え、豊臣秀吉に属しました。

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2008.11.21

毛利秀元の和歌

 「宮島や夕浪よする海原に
   朱のみつ垣みえて霞まぬ」

●毛利秀元
【生没】天正7年(1579)~慶安3年(1650)

続武家百人一首より。
夕暮れの宮島に行ってみたくなります。
秀元は毛利元就の孫。父は元就の四男・穂井田元清
(輝元の養子)。母は来島通康の女。
Ff0192


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2008.09.24

北条氏直の辞世

 「結びして解くる姿はかはれども
   氷のほかの水はあらめや」

●北条氏直
【生没】永禄5(1562)~天正19年(1591)

真書太閤記12編巻之21
「北条氏直病死氏規領地の事」にある辞世。
高野山に蟄居中だった氏直は、秀吉から
天正19年に1万石(伯耆?)を与えられましたが病死。
30歳でした。

「結びして」は徳川家康の娘との婚姻をあらわして
いるのかもしれません。
Ff109s


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2008.09.16

丹羽長重の和歌

 「年へてもかはらぬ庭の松の葉に
   契かけおくゆくへたがふな」

●丹羽長重
【生没】元亀2(1571)~寛永14年(1637)

聚楽第行幸記より、寄松祝に詠まれたものです。
「庭」に「丹羽」をかけているようです。
子孫に道を間違うなと言っているのかもしれません。
Ff115_s


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2008.08.08

篤姫の和歌

先日の新聞(日経新聞8/4)の夕刊に、篤姫の直筆と
みられる短冊が、大阪で発見されたニュースが
掲載されていました。

「年をへし 池の岩ほの亀も猶
  うこかぬ御世に契りてやすむ」

安政3年に書かれたと見られ、江戸城に入る前の
心境のようです。
池の岩にいる亀よりもなお長生きをし、
幕政の安定の一助とならなくては・・・
という意味だそうです。

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